読者のみなさん、おはようございます、アッキーです
前に比べて、朝晩本当に暖かくなって来ましたね~
では、いつも文字の制限ギリギリまでブログを書いていますので、早速始めたいと思います(笑)
◆『冨田勲・訪問インタビュー』第4回[最終回] 音の響き・音の色4 [1983年2月10日放送]◆
さて、今回も冨田先生の演奏する、バッハのインベンションで始まりました『訪問インタビュー』ですが、今回は冨田先生の自宅ベランダから見下ろした、街の風景から始まります
いつも通りインタビュアーは”斎藤季夫”さんです
先生の自宅のベランダに、斎藤さんと冨田先生が立っていて、街の風景をバックに会話をしています
斎藤さんが話しを始めます
『ここは、東京の品川駅のすぐそばなんですが、今この東京の風景を見ていて、音と結びつけて何か感じることはないですか?』
冨田
『僕らの生活というのは音に包まれていますよね。
やっぱりここに立っていても、こちらの方から電車の音、ここの下には第一京浜道路が走っているから車の音、そして向こうには何かヘリコプターが飛んでいますよね?
そしてこちらからはカラスの声が聞こえてきますね。
こう言う”音の場”に囲まれて生活しているんですよね。
ですからこう言った”音場”で何か面白いサウンドが出来ないかと考えているんですよ。
去年リンツでコンサートをしました時は、会場の前方に2チャンネルのスピーカー、そして後ろに2つのスピーカー、天井にも一つスピーカーを吊したんですよ。
そのスピーカーを全部線で繋ぎますと、ピラミッドの形になるんですよ。
ですからそれに”ピラミッド・サウンドと言う名前を付けたんですよ。
その中で音の移動だとか、遠近や上下を付けてアレンジをしたんですよ。
僕は一点から聞こえる音よりも、周り全体から音に囲まれているのが好きなんですよ。
ですから僕はよく、5chとか6chとかのコンサートをやりますが、聴いている人の中には”良い音楽はモノラルでも良いのに、何でこんなに沢山スピーカーが必要なんだ?”と言う人がいます。
まあ、その通りだと思いますが、この”音場の体験”は、音楽そのものとは、また別のものだと思うんですよ。
つまり広がったサウンドそのものが良いのです。
その音場の中に、音楽が一つの素材としてあると思うのです。
そう言ったサウンドに何か名前を付けた方が良いのですかね?(笑)』
斎藤
『このお宅だけでなく、どこかへ旅行なさった時なども、ご自身とその音との間に何か感じることはありますか?』
冨田
『以前、冬の京都の嵯峨野へ行った時、雪がシンシンと降っていまして、その音をモノラルで録ったんですよ。
でも家に帰ってテープを再生した所、モノラルだと単に雑音しか聞こえなかったので、後に行った時に、苦労して車の上に4方向にマイクを立てて、4チャンネルのレコーダーで録音をしたんですよ。
そうしたら音と言うより”気配”が録れたんですよ。
一つ一つのスピーカーで聴いても単なる雑音なんですが、4chで聴くと音ではなく”気配”が出てくるんですよ』
そして、ベランダにいたお二人は、先生の自宅のリビングルームへと移ります。
先生の自宅のリビングはとても広いですね~
確かリンツの時のバイオリン奏者の千住真理子さんが、このリビングでバイオリンを弾いていたのを、以前ビデオで見た事があります
また、そのリンツの時のもようも、詳しくレポートしたいと思いますので、楽しみにしていて下さい
斎藤
『普段冨田さんが生活をしている中で、この部屋には何か5chのシステムがあると聞いたのですが?』
冨田
『この天井に一つスピーカーが埋まっているんですよ。
そして下にはそれぞれ4方向にスピーカーがあって、線で繋ぐとピラミッドになるんですよ。
一応このリビングでもピラミッドサウンドが聴けるようになっているんです。
今度85年につくばで科学博が行われますが、そこで音場の実験をしようと思っています。
その”音の場”の中に音楽もありますし、人間の声や自然の音も入ります。
そういった全ての音を5chの音場にアレンジするのです。
でも。。。こう説明しても。。。確かこの放送はモノラルですよね?(笑)モノラルだと困りましたね。
例えば5chのとても巨大なスピーカーで”宇宙”と言うものを表現します。
その中に小さなスピーカを置いて、それで例えば時計のカチカチ言う音を出します。
その小さなスピーカーを動かしてみます。
そうすると何か大きな宇宙の中で動く、とても小さな存在(人間等)を表現出来ると思うのです。
とても大きな物と小さな物を表現して、そこに来たお客さんを引き込もうと思うのです。
これは絶対に1つや2つのスピーカーでは出来ません。』
斎藤
『では、この部屋で、いろいろスピーカーを置いたりして、音場に包まれたりする実験をするのですか?』
冨田
『はい、もちろんここの部屋で出来ます。最高10chまで出来ます。』
斎藤
『音はどこから出すのですか?元の音源は?』
冨田
『音は、昨日収録したスタジオから出します。24chのレコーダーから、必要な音をミックスして、こちらの部屋まで送って流すことが出来ます』
斎藤
『廊下を一つ隔てたスタジオとこのリビングですが、ここまで音が送れるのですね?』
冨田
『はい、そうです。ただ、そう言った音をオーディオ的に捉えて”それは缶詰の音ではないか”と批判をする人もいるのですが。。。ただ、普通に考えて生演奏を聞くことが出来る人と、その他のオーディオ的な”録音された音”を聴く人の割合は99%以上が、オーディオで聴く人だと思うのです。(それぞれを聴く時間の比率も含めて)
音というのは昔を振り返って、長い間保存が出来なかったのです。
音というのはその音が発せられた瞬間から消えていたのです。
そして近代になって、音がテープ等の方法で保存が出来るようになりました。
ですからオーディオと言うのは、それによって出来た一つの”文化だと”思うのです。』
斎藤
『先程”リンツ”と言う地名が出てきましたが。。。これはオーストリアのリンツと言う都市なんですか?そこで、大がかりな演奏会と言いますか、コンサートをしたんですよね?』
冨田
『そうです。これはですね、ブルックナーの縁の街なんですけど、ブルックナーにあやかって、ひとつ面白いお祭りをやろうと思いまして、ブルックナーのお祭りというのは2年おきの9月に行われるんですよ。
そのブルックナーハウスの中で、私のシンセサイザーによる演奏と、ローン・ヘイズの映像と共演したんですよ』
斎藤
『ローン・ヘイズと言うのは、コンピュータアニメの大家なんですか?』
冨田
『そうです。ロサンジェルスの、コンピューターグラフィックスの大天才なんですけど』
斎藤
『そちらが映像の方を引き受けて、音の方は。。。』
冨田
『はい、私が5chのステレオを会場の中に流したんですよ』
ここで、そのリンツの会場で実際に流した映像と音楽が流れます。。。
音楽は冨田先生の『バミューダートライアングル』の曲です
映像が流れながら先生が解説をします
冨田
『ステージの前に2つスピーカーがありました。
2つと言っても、1つのチャンネルは複数ですけれども。。。そして後ろの方向にも2つのチャンネル、2箇所にスピーカーを置いて、それから天井にもですね。
その5chで音を鳴らしていたんです。
これは、バミューダートライアングルと言う一つのファンタジーですけど、実際会場の人達がですね宇宙船の中に入って、会場全体が上に持ち上がるような感じの音ですとか。。。』
斎藤
『まさに音で包んで(笑)』
冨田
『あるいは自分が急に、広い場所にいるような音場を作りました。(実際のブルックナーハウスよりも壁を越えて広く感じるような)
そして、ローン・ヘイズの映像は、前面に非常に大きなスクリーンで映し出しました』
斎藤
『そして、このリンツの場合には、さらに大仕掛けで、河を隔てて大きな音出したとか聞きましたが。。。』
そして、ここで音楽の映像から、元のリビングの映像に戻ります。。。
冨田
『これはですねー、実は非常に羨ましかったのは、私がローン・ヘイズと共演をしました2日後に”ウィーンフィルハーモニー”が同じブルックナーハウスの中に来てですね、その指揮をローリーマゼールがしたんですけど、そのホールの中で演奏されている音を、そのまま会場の外に流していたんですよ。
会場の外はすぐドナウ川なんです。
ドナウ川のほとりの、ブルックナーハウスの所に4chのスピーカーを置いて、河を隔てた向こう側の堤防に2chのスピーカーを置いたんです』
斎藤
『ここに図があるようなので、これで説明していただけますか?確かこれがそのプログラムですよね。。。』
冨田先生が、テーブルに置いてあった、コンサートのプログラムの冊子をめくりながら、会場のセッティング図のページを探して開いて、カメラの方向に見せます。そして説明をしてくれます
冨田
『映りますでしょうか?これがブルックナーハウスです。
この中で毎晩演奏会が行われたんです。
ここの音をまずこの4ヶ所のスピーカーで出すんです。。。ここはドナウ川です。。。ここは堤防です。。。このスピーカーの4chと。。。(中央の黒い丸を指しながら)ここにですね、消防用の30メートルのはしご車が来まして、そのはしご車の上にスピーカーを乗せて頭上から音が来るようになっているんです。
そして向こう岸の堤防に2ヶ所のスピーカー。。。そして後は、この船にスピーカーを積んでいました。
最初のマーラーの5番のトランペットは、この船で移動しながら音を出していたのです。
そしてこのシステムを、ぜひ84年のコンサートの時には使わせてくれと、その局長さんにお願いしたんですよ』
斎藤
『去年から2年後ですから、今年は83年でもう来年の話ですね。
このシステムで、次は冨田さんも演奏したいということなのですね?』
冨田
『はい、そうです。
それからドナウ川をスクリーンにして、斜めからレーザーや照明を映して、この川も一つのスクリーンとして利用しようかと思っています。
そしてこの川の上に立体音場を作ったらどうかと言う構想があります。
これは、いずれにしてもお祭りですから、一つは遊びの精神もかなりある訳です。
ですから去年のコンサートの時も、大きなアドバルーンにぶら下がってセロ(チェロ)を弾く人がいたりしました。
とても楽しい音場を、このドナウ川の上に作ってみようかと思います』
斎藤
『音場。。。”音の場”と言うのは新しい言葉なんでしょうかね?』
冨田
『そうだなあ。。。んー。。。まあ、音楽とはまた別の物でしょうね。
音楽とはモノラルとかステレオとかで、十分音楽性を感じ取る事が出来ると思うんですよ。
それにあと3つも4つもチャンネルを増やして、その中で聴く音場の世界と言うのは、また別のものじゃないのかなって言う気がしますね。
これはね、聴いてもらわないと何と説明して良いかと。。。(笑)それに今回は放送がモノラルだし。。。本当はここでそのピラミッドサウンドの音をかけてお聴かせしたいのですが、5chステレオでここでかけても、結局一つのマイクで録ると、モノラルになってしまいますので。。。音楽はどういうものかは分かってとしても、さっき言いました”音場の気配”みたいなものが、どうしても表現出来ないですね。残念なんですが。。。』
斎藤
『そういう、いろいろな可能性が出てくるとですね。。。冨田さんが作曲よりもどちらかと言うと、演奏者指向なのかなとおっしゃっていましたけど。。。別に作曲家の立場のどちらでも良いのですが。。。これから将来、こう言う風にして行きたいとかありますか?』
冨田
『まあ、今おっしゃりましたように、演奏家なのか作曲家のなのか、それともサウンド屋さんなのか。。。これはねー、自分でも区別していないんですよ(笑)
その時その時、自分の持っている何かこう表現したいと言う物がそこで表現出来て、そしてそれを聴いた人達がそれを感じてくれればと。。。これが非常に嬉しいことなんです。
ですから、さっきこの音場と言いますかね。。。音像と言うのかな。。。一つの音の像を作るんだから。。。どっちになるのかな。。。そう言うのは作曲とか音楽とか言わないと、さっき言いましたけれど、最終的には音楽もそのサウンドも、何かその相手に伝わると言うことが素晴らしいことなので、そう言う点では僕はあまり区別を付けていないですね。
むしろ周りの人が”何だ、この間シンセサイザーでやったあのストラビンスキーは「演奏」じゃないか”とか”これはサウンドじゃなくて「音楽」じゃないか”とか周りの方がおっしゃるわけなんです。
それはもちろんサウンドでもですね、それが演奏者でも作曲者でも、何であっても良いんですよ。
ようするに自分が一生懸命こしらえた”音”と言う物が、相手に伝わった時が嬉しいわけで、今度のリンツなんかでも、僕はドイツ語が全く分からなかったのですが、その分からない人達がですね、僕の5chのステレオから何かを感じ取ってくれたと言う事。。。やっぱり僕はそれで良いと思いますね』
ここで、冨田先生の自宅から見える夕日の映像と共に、バッハのインベンションが流れて番組が終了します。。。
この最後の、冨田先生の満足したような笑顔がとても印象的で良いですねっ
現在2017年で、この番組が放送されたのが1983年。。。この映像を見ていると、何か太陽は毎日同じように繰り返し昇って沈んで30年以上の年月が過ぎて、もの悲しさと言うか、その頃の冨田先生が活躍されていた”良き時代”に、ノスタルジックみたいなものを感じますねっ
では今回、全4回に渡って1983年に放送されました『冨田勲・訪問インタビュー』について解説をさせていただきましたが、みなさまいかがでしたでしょうか
少しでも多くの方が、この記事を読んで喜んでいただけましたら幸いです
これから先、自分は冨田先生の事を時々書いて行こうと思っています
先生の事を知らない方に知ってもらいたいですし、先生の活躍されていた”良き時代”の事を風化させないために頑張って行きたいと思います
ぜひ、お気軽にリブログやSNSでリンクを貼って、周りの方にシェアして見て下さいね
では、またいつか冨田先生の番組や音楽について記事を書きたいと思いますので、ぜひ楽しみにしていて下さい
では、アッキーは作曲に戻りたいと思います